昨日に続き、20世紀初頭のフランス哲学者であるアランの
人生は、自らが自分の人生の主役であれという言葉の
その意味を分かりやすく説いてくれる
たとえ話があります。
山頂までで列車で行った人には
登山した後に見る、太陽の美しさを味わうことができない。
また、
観客側にいると、
コンサートや演劇を見て、つまらないと思うものもあるが
それを自らが演じる側でに立つと
どんな演奏も、演技も
つまらないとは思わずそのことに没頭する。
まさに、
躍る阿呆に見る阿呆・・・
同じ阿保なら、踊らにゃ損損!
と同じだなぁと。
人生、自分のやりたいことなど
日常の中で1割できれば、いい方です。
それに、文句や不平を言ったり
隣の芝を青く見ているのではなく
今いる場所で、全ての頼まれごとは
任されごと。自分の躍る場所は、
相手視点、周り視点だから
社会が許してくれるのですから。
自分で登るチャレンジができる山を与えてくれている。
また、
演劇でお客様や同じ舞台の人たちの要望に思い切り応える。
こうして、
自らが主役の人生の悦びを
意思をもってつくっていくということの大事さを
私自身も意識し続けたいと思うのです。

丁寧な暮らし- 代表の想い

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